ベトナム一家の日常

彼女の家は5階建てだった。

父は米国に単身赴任しており、母と祖母とおじと暮らしているようだった。

俗に言う、越僑と言われる人たちだ。
ベトナム戦争時に南にすんでおり、ベトナムを脱出した。
長い間、ベトナムに帰ることは許されなかったのだが、現在、帰国することが許可されている。

彼女は普通に日本人の友達ができたことを素直に喜んでいた。
確かに、ここの現地に住んでいる人たちを見かけるが、
あまり・・・いけてるとはいいがたいよな。
彼女の家の所得層は現地の人と比べてかけ離れているのだろう。

ちなみに、キャット家の5階からの眺めは非常にすばらしいものだった。
民家の裏に、広大に広がる農地を見ることができた。
ベトナム共産国家だけあって、自給自足できるように、
農業の生産力を保たなきゃいけないんだろう。

彼女は3時から学校があるらしく、それまで僕の行動に着こうとしているようだった。
私はぶっちゃけどっちでもよかったのだが、
ベトナム人女性は世話焼きだと聞いていた。
確かにその通りかもしれない。

彼女とランチを食べ、
そして、明日の帰りの列車のチケットを取りに行くことにした。
飛行機の方が早いのだが、ダイビングをするため、飛行機に乗ることができない。
ホーチミンには寝台列車で帰ることに決めていた。